令和5年5月18日

 今朝も娘が私より先に起きていた。私より早く起きることが嬉しいらしい。自慢げにしている。娘に車に乗せていってくれと言われ乗せて学校へ。私は携帯電話を忘れてしまったことに気づき、娘を下ろした後、再び家に。こんな徒労が嫌になる。けれど少しばかし玄関掃除をして気持ちを整える。今日は何とか乗り越えた。

 職場では朝から色々。ゲンナリすること。通常営業。

 そう言えば昨日、スカウトサイトから電話が来ていた。職種が全く興味がないものだったので、迷わず断った。どこでもいいわけでは無いらしい。それでも都内で今より給料はいい。もう300万円多ければ即答してたかもしれない。が、そんなに私に価値はない。

 ほどほどで頑張る。いいことも悪いこともほどほどでいい。今は、3回払いで買った6,000円のバッグがすこぶる使い勝手がいいことが一番の喜び。風が気持ちいこと。空気が澄んでいて気持ちがいいこと。花が咲き、草木が芽吹き、庭仕事の喜びが帰ってきたことが嬉しい。たまに飲むお酒が美味しい。日本酒を買ってこようかなと考えている時間が嬉しい。小さな喜びはたくさんある。暗い気持ちになってる場合ではないのだ。それなのになぜたまに死にたくなるのか。

 そんなものなんだ。市川猿之助さんはどうして死のうと思ったんだろう。

 中学3年の3月。ジョン・コルトレーン。母が奉仕活動をサボって家にいた日。光が差す窓辺。弟が買ったCDだった。あんな日が僕には幸せだった。もっとあってもよかったのにと思うけれど。あんな日が1日でもあったから、今こうして何とか生きていられるのかもしれない。あんな日が1日でもあるかもしれないから、今こうして日々をやり過ごすことができているのかもしれない。

 できることなら、もう一度やり直したい。父や母が宗教にハマらず、仲が良く、収入にも恵まれていたならどうだったんだろう。こんなことをいまだに臆面もなく考えている中年男性は気持ちが悪いのだろう。

 まあいい。